掲載新聞 1999年8月15日(日)民団新聞
1999年8月15日(日)民団新聞

各分野で活躍する在日2・3世たち
福祉派 コリアボランティア協会 代表
康秀峰さん
差別に「愛」で奉仕
大阪で「共生」のモデルづくり


 康秀峰さん(51)は色紙に好んで「愛」の一文字を書く。差別という日本社会の「目に見えない鎖」に打ち勝つには、「見えない愛の奉仕」しかないというのが信念だ。
 「コリアボランティア協会」は生野区に拠点を置き、高齢者や障害者を対象に無償で介護や自立支援のための活動を続けている。名前は「コリア」でも、ボランティアに出向く先の約八割は日本人。阪神淡路大震災発生後は活動の範囲も生野区内から被災地へと広がった。いまでも週三回はスタッフが長田区の仮設住宅を訪問し、お年寄りらの心のケアに努めている。
 ボランティアに目覚めたのは十八歳ぐらいのとき。在日同胞への偏見に、「差別している日本人の心を変えていかなければならない」との思いからだった。
 高校卒業に上京。東京の足立区でヘップの仕事に就く傍ら、少年院、孤児院を出て社会から見放された少年たち三人を引き取り、三畳一間で生活を共にした。多いときは一部屋で五、六人が寝起きしたことも。仕事が終われば近所の高齢者宅を訪ねて介護した。給料一万七千円のうち一万円は仕送りに、残りはボランティアに費やした。
 三年という短い期間だったが、康さんの将来を決定づけるには十分な動機付けだった。大阪に戻ってからは「自分の人生を福祉にかける」と決意した。二十歳になっていた。
 「日本人と対立する関係ではなく、違いを認めあって仲良く生きるにはボランティアしかない」。生野区は「コリアンの首都」。生野区で「共生」のモデルを作り出せば、日本全国に広げることができるのではないかと考えたいという。
 小学校二年生の時、父親が家を出たため、母親の手一つで育てられた。乳母車をリヤカー代わりに着物の切れ端を集め生活を支える母親の後ろ姿を見て育った康さんは、足に障害を持つ弟のためにトイレや入浴の世話をした。康さんはまだ七歳のときのこと。
 介護にあたっては、弟から鉄板の入った足でよく蹴られたが、痛みの苦しさはこの弟から学んだ。また、目の不自由な高齢の大家さんの話し相手になってあげ、五円のお小遣いをもらったこともある。寂しさからくる苦しさを学んだのはこのお婆ちゃんからだ。
 十六歳でリウマチにかかりハンディを持つ苦しみは身にしみている。長年の準備期間をかけて四十六歳で「コリアボランティア協会」を旗揚げした。事務所は在日同胞の篤志家が無償で貸与してくれた。
 現在、同協会には全国で約五千人がボランティアとして登録している。専従スタッフは七人。規模としては日本で一番大きい。しかし、活動の輪が広がれば広がるほど運営費がかさむのがジレンマ。
 震災の炊き出しでは一年で五百万円の貯金を取り崩し、奥さんが家の購入資金として確保しておいた千五百万円も今は底をついてしまった。康さんは「愛に向かって死ぬ心境」と意に介していない。

プロフィール
 1948年、生野区生まれ。大阪朝鮮高級学校卒。書家としても知られ、高麗書道連盟会長を務める。薬剤師で在日同胞2世の妻(48)と長男(6)。カンパのあて先は同協会名義で郵便振替「00920・6・29408」。電話は06(6717)7301まで。

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