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ボランティア活動 福祉で広がる共生の輪 コリアのイメージアップを 大阪・生野編 国籍、民族の壁超えて 共生の在り方が問われて久しい。この同胞が住む街、生野では日本人と同胞との共生にとどまらず、国籍と民族の壁を超え、障害者と健常者との共生の実現を目指し、日々奮闘するボランティア活動がある。「コリアボランティア協会」の康秀峰代表(四七)とその会員たちがその実践者で、今やその活動は着実に根を張り、広がりつつある。生野ほど自主的な民間の障害者施設が多い町は日本中どこを探してもないだろう。生野区の障害者数は西成、平野に次いで三番目に多い。日本人が中心となって、二十数年前から障害者が地域社会の中で健常者とともに生きる実践を積み重ねてきた。大阪市が年間四百万から千三百万円の助成する“無認可”の「障害者の自立のための作業所」は十三カ所と市内第一位だ。市全体で百五カ所で、二位の平野が十一カ所、三位の西成が八カ所。生野全体で知的障害児の通園施設や学童保育、グループホームなど三十近い活動がある。 康さんは生野の猪飼野育ちで、幼いころからずっと「ボランティア人生」だった。四歳年下の弟は生まれながらにして足が不自由で、介護が康さんの役目だった。十六歳の時には自身がリウマチになり闘病生活を送った。また歩けるようになれば苦しんでいる人のために生きようと思った。 朝鮮高校卒業後、踏み入れた日本社会は厳しいものだった。何度も就職差別に遭い、やっと入社してもいじめられた。 怒りを愛に変えて 「圧倒的多数の日本人に力で戦っても勝てない。かえってマイナスイメージを与える。怒りを愛に変えることが大切だ。自分より力の強い人間でも愛で変えられる」。人が困っていると知ると、助けに走った。それを自分の仕事と課した。親が子供を連れて死のうと思うほど精神がすさんだ青年を預かったこともある、やくざに殺されかけた青年も助けた。康さんのボランティアは常に「真剣で命懸け」だった。 震災以降登録1000人 当事者だけでなく、周囲にいる多くの人間が理解者に変わっていく体験をした。 協会結成は九四年一月。前年十月に病気で二十日も寝込んだ。その時、康さんには一歳の子がいた。康さんは小学生の時、朝鮮人というだけで交番に連行され十時間も留置された。警察は密航者捜しに子供さえ利用した。うなされながら自分の子に屈辱的な歴史は繰り返すまいと誓った。次世代が差別されずに生きていける世の中をつくるために「コリアのイメージアップ」を図るしかない。福祉は日本で一番遅れた分野。ボランティアにこそ大きな力がある。同胞の後輩たちを育成しよう。地域に根を張って活動し、日本人の理解者を増やそう」と協会設立を決心した。設立後の反応は、同胞のやくざが訪ね、「差別が厳しかったからやくざになるしかなかったが、頑張ってほしい。困ったら連絡してください」と言うほどだった。 百六十人のボランティア登録でスタートした協会も阪神大震災を契機に近畿を中心に千人を超えた。当初六割が同胞だったが、現在逆転し七割が日本人。確実に日本人の心をとらえ、康さんは共生への手ごたえを感じている。被災地での救援活動を今も毎週二日継続し、生野など地元での日常的な介護の要望も増えている。活動はすべて無償。震災以降、専従を三人から六人に増やした。若い専従はわずか一万円の月給だ。 百平方メートルの事務所は康さんに共鳴した同胞二世商工人が無償で提供したものだが、それでも全国からカンパや書道教室での収入をすべて費やしても月五十万円の赤字で家の貯金を崩している状態。康さんは「現状では五カ月しか持たない。コリアボランティア協会は同胞の財産だと思う。福祉は所属や思想を超えてすべての同胞に共通する課題。今、広がりつつあるこの“灯”を同胞たちの手で支えてほしい」と訴える。コリアボランティア協会の活動は、確かに広範な日本人の心をとらえ始めた。同胞の住む街、生野は今、まさしく共生の実現へと一歩を踏み出したようだ。(完=K・Y) |
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