LIM No.20より
■シリーズ「海外の森林破壊と日本」
第3回 「自由貿易と東南アジアの熱帯林」
講師・関 良基さん(京都大学)
西岡 良夫さん(ウータン森と生活を考える会)
報告・荒木 琢磨さん
6月26日(土)にシリーズ「海外の森林破壊と日本」の第3回学習会「自由貿易と東南アジアの熱帯林」が開かれた(共催団体:ウータン森と生活を考える会・熱帯林京都・アジアボランティアセンター)。
講演者は京大の関 良基さんとウータンの西岡良夫さん。関さんは「フィリピンの熱帯林」について、西岡さんは「マレーシアのサバ州・サラワク州・インドネシア・パプアニューギニアの熱帯林」について報告くださった。
関さんの話しはまず「WTOによって推進されている自由貿易体制は、どうして世界の森林破壊をもたらすのか」という問いを立てる事で始められ、先進国にとって都合の良い考え方が途上国の社会・経済構造をゆがめ、そのゆがみが途上国の貧困ひいては森林の破壊を推し進めた様子をフィリピンを例にとって考えていった。
フィリピンでの自由貿易は、英国のスペイン植民地への市場開放要求によって、1834年にマニラが開港されたことで始まる。この時からフィリピンでは低地熱帯林地域の大開墾・大土地所有・商品作物プランテーションによるモノカルチャー経済が登場する。
この傾向が更に進むのは1902年の米西戦争終結による米国のフィリピン支配の確立である。砂糖の輸出が十万トン(1893年)から百四十万トン(1934年)と急増するのをはじめ、この頃の主要輸出品がココナッツ・マニラ麻となって、モノカルチャー化は米国市場への全面的依存により、いっそう深まる。
同時にこのころから、米国の製材会社によって、ラワン材が合板用に優れている事が見出され、木材産業が盛んになってくる。対米輸出は1916年に始まるが、年後の1937年時点での最大の輸出先は日中戦争が泥沼化していた頃の日本であった(総生産量60万立米中、40万立米が対日輸出)。
戦後のフィリピン独立後も対米不平等条約の下、モノカルチャー経済は引続き行われた。一方、木材の輸出は1968年のピーク以降減少し、現在は逆に輸入国になってしまった。残ったのは草だけがはえる山々であった。
続いての西岡さんの報告は、前述のように東南アジア・南太平洋の主な森林伐採地域についての歴史の振返りだった。
特に印象的な事は、サラワク州における土地法の相次ぐ改悪によって先住民の土地が奪われ、激しい森林伐採が行われたこと、そして森林資源の伐採地が奥地化したことでかえってサラワクの大手木材会社リンブナンヒジャウなどは、南米やパプアニューギニアの森林を伐採対象としていっていること。
インドネシアでは、スハルト前大統領とその一族が大規模な森林伐採権を乱発し、大規模な森林破壊が行われ、乱伐を防止し国内林業育成の為に丸太輸出の禁止が行われたがそれにも関わらず乱伐は現在も進行している事。
パプアニューギニアではマレーシア資本・日本資本の伐採会社が伐採権を獲得し現在も大規模な伐採を続けている。そして、何よりもこれらの国々からの木材の大部分が日本に輸出されているということである。
自由貿易が、リカードの比較優位学説(1817年に提唱)「ある品物に競争力のある国がその物の生産に特化し、他の品物に競争力のある国がその生産に特化して、互いに貿易する事が全体としての利益になる」を最大の根拠として推進されてきたが、この利益を享受したのは少数の先進国であり、途上国は貧困への際限のない悪循環に置かれる事になった。
これは比較優位説が短期静学的な理論であり、工業製品が生産規模の拡大に連れて単位生産費用が減るのに対し、農産物では逆に増加する。この為、農産物輸出国である途上国は慢性的に貿易赤字に苦しむようになり、これは対外債務の累積・通貨価値の下落・更なる輸出・農産物価格の下落・農地拡大・木材伐採・森林破壊・土地所有の独占・土地無し農民の堆積・慢性的高失業率といった貧困の循環を繰り返していくのである。
こうして、自由貿易は、途上国における貧困と森林破壊を引起こすのである。